【私教育新聞第135号】学びの場としての新時代の大学|安永卓生氏「問いは才能ではない ―閉じた「なぜ」と開いた「なぜ」―」
2026.09.30(水)
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【学びの場としての新時代の大学】
「問いは才能ではない ―閉じた「なぜ」と開いた「なぜ」―」
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「子どもたちから問いが出てこない」「探究活動を始めても、調べ学習で終わってしまう」。
学校現場で、こうした声を聞くことは少なくない。
では、問いを生み出すことは、一部の好奇心旺盛な子どもだけの才能なのだろうか。
私がそうではないと考えるようになったきっかけは、英会話教室に通っていたときにある。
そこではさまざまな問い掛けや対話の型を練習し、教師にそれらをいつ学んだのかと尋ねると、
「小学校以来、学び続けてきた」と答えた。問うことは、学び続けるスキルなのだと気がついた。
問いは、何もないところから突然ひらめくものではない。
知識や経験を背景に、当然だと思っていた前提と目の前の事実との違いを見出したときに生まれる。
そのため「自由に問いを立てなさい」と指示するだけでは難しい。
知識、比較する対象、考えを言葉にする時間、他者との違いに気づく場が必要である。
つまり、問いを生み出せる能力が育つかどうかは、子どもの才能だけでなく、
教員の「問い掛け」に大きく左右される。
これまで私は、判断力を「選んだ理由を説明する力」として論じてきた。
今回は、同じ「なぜ」が、どのように答えを閉じたり開いたりするのかに着目したい。
閉じた「なぜ」と、開いた「なぜ」
さて、我々教員は、しばしば授業の中で「なぜそう考えたのですか」と尋ねる。
しかし、同じ「なぜ」でも、その働きは一様ではない。
正解とされる理由を再現させる「なぜ」は、知識や手順を確かめるために必要であり、
定着にも役立つ。一方……
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